2009年 10月 22日
一里塚(大垣市指定史跡) |
旧21号線北に一本入った静かな道が旧美濃路
静里小学校南の道を東進 静里小学校交差点より数十メートル
徳川家康は幕政の基盤を固めるため、全国主要街道の整備に努め
慶長9年(1604)には、その路程標として一里塚を築かせた
一里塚とは、一里(約4Km)ごとに街道の両側に五間(約9Km)
四方の塚を築き、その頂に榎などを植えたもので、旅人の里程の目安と
なり、乗り賃支払いの基準とされたほか、休息の場でもあった。
この一里塚は、東海道と中山道を結ぶ美濃路に築造されたもので、
南側だけであるが榎がのこるなど、ほぼ原型に近く貴重な史跡である
資料:大垣市教育委員会
静里小学校南の道を東進 静里小学校交差点より数十メートル
徳川家康は幕政の基盤を固めるため、全国主要街道の整備に努め
慶長9年(1604)には、その路程標として一里塚を築かせた
一里塚とは、一里(約4Km)ごとに街道の両側に五間(約9Km)
四方の塚を築き、その頂に榎などを植えたもので、旅人の里程の目安と
なり、乗り賃支払いの基準とされたほか、休息の場でもあった。
この一里塚は、東海道と中山道を結ぶ美濃路に築造されたもので、
南側だけであるが榎がのこるなど、ほぼ原型に近く貴重な史跡である
資料:大垣市教育委員会
by prayer_ryukon
| 2009-10-22 16:29
| 大垣市
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