2013年 06月 19日
江馬蘭斎(えまらんさい)が使用した蒸気風呂 |
江戸時代の医学は、初期には漢方医学、中後期には蘭方医学の時代となる。
江戸時代初期の大垣の漢方医としては安藤順得(じゅんとく)・守屋秀緯(しゅうい)などの名前からしられているが、より著名なのは、養老町室原出身の人で俵町に住み、朝鮮通信使の医官として船町の全昌寺(ぜんしょうじ)で出会った北尾春圃(しゅんぼ)である。
江馬蘭斎は細香(さいこう)の父親だが、江馬春齢元澄に、鷲見家より養子に入った大垣藩医江馬家の二代目である。実名は元恭(げんきょう)、蘭斎は号である。寛政四(1792)年、江戸に出て、杉田玄白、前野良沢に蘭方医学を学び、同六年、大垣で開業した。また、学塾好蘭堂を開設し、美濃蘭学の開祖となった。文化元(1804)年頃には、蒸気風呂を考案し、治療に使用したと云われる。
現在、蘭斎がしようした蒸気風呂の現物が各務原市川島竹早町にある内藤記念くすり博物館に常設展示されている。釜に水を満たし薬草のエッセンスを含んだ蒸気浴をする仕組みになっている。中に入れる薬草はセンキュウなどを用いたといわれ、この蒸気風呂は昭和中期頃までリウマチや神経痛、皮膚病の治療に使われた
※ 大垣船町のむすびの地記念館でもこの蒸気風呂は見ることができる
by prayer_ryukon
| 2013-06-19 07:35
| 大垣市
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