2014年 01月 22日
禅幢寺 |
菩提山ふもとにある曹洞宗の寺。半兵衛重治をはじめ、竹中家の墓が整然と並ぶ。本堂は半兵衛の孫・重常が建造。
天正7年(1579)年6月13日、播州三木の陣で病没した半兵衛、享年36歳。その菩提を弔うために半兵衛の子の重門が三木から墓石を移したとされるのが、ここ禅幢寺(ぜんどうじ)。
垂井町史によると、長浜平方町の徳勝寺を開いた「薩州金幢寺の僧正碩和尚」が、明応3(1494)年に開基したとある。その後、天正15年(1587)年に再び徳勝寺の宗肇和尚を請い再興されて以降竹中家代々の菩提所となった。
現存の本堂は重常が寛文(1663)年に建立したもので、平成23年に町指定建造物となった。
境内には半兵衛のほか明治時代までの13代にわたる竹中家の菩提が祀られている。
竹中半兵衛重治氏の墓
関連記事: http://egao109.exblog.jp/9571230/
岐阜県不破郡垂井町岩手1038-1
天正7年(1579)年6月13日、播州三木の陣で病没した半兵衛、享年36歳。その菩提を弔うために半兵衛の子の重門が三木から墓石を移したとされるのが、ここ禅幢寺(ぜんどうじ)。
垂井町史によると、長浜平方町の徳勝寺を開いた「薩州金幢寺の僧正碩和尚」が、明応3(1494)年に開基したとある。その後、天正15年(1587)年に再び徳勝寺の宗肇和尚を請い再興されて以降竹中家代々の菩提所となった。
現存の本堂は重常が寛文(1663)年に建立したもので、平成23年に町指定建造物となった。
境内には半兵衛のほか明治時代までの13代にわたる竹中家の菩提が祀られている。
竹中半兵衛重治氏の墓
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岐阜県不破郡垂井町岩手1038-1
by prayer_ryukon
| 2014-01-22 00:37
| 垂井町
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