2018年 04月 29日
如来寺 |
如来寺の由来
善光寺如来が、難波より信濃へ向かう途中、お昼の供養をした関係から、建久六(1195)年に僧の定尊(じょうそん)が、村東の花岡山の上に三尊仏を安置し、名を如来寺としました。後年、織田信長の兵火にあい当地に移り、秘仏となりました。また、御本尊の開帳は十五年に二回行われています
御本尊は善光寺の分身仏としては日本で最初のものです。特に、一体分身の如来といい、現在は大垣市重要文化財の指定を受けています
善光寺式阿弥陀三尊仏(大垣市指定文化財)
如来寺の本尊は長野県善光寺の三尊仏の尊影を模刻した仏像であることから、善光寺式阿弥陀三尊仏と呼ばれている。この仏像は鎌倉時代の作と伝えられ、法身は中央の阿弥陀如来が49.5cm、脇侍(わきじ)の観音菩薩像、勢至(せいし)菩薩像がともに33.5cmと三体の均等がとれた作風である。また、三尊が一つの光背(こうはい)に納まっている一光三尊仏であり、善光寺の分身仏にふさわしい浄土来迎を思わせる紋様も彫刻されている
大垣市教育委員会


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善光寺如来が、難波より信濃へ向かう途中、お昼の供養をした関係から、建久六(1195)年に僧の定尊(じょうそん)が、村東の花岡山の上に三尊仏を安置し、名を如来寺としました。後年、織田信長の兵火にあい当地に移り、秘仏となりました。また、御本尊の開帳は十五年に二回行われています
御本尊は善光寺の分身仏としては日本で最初のものです。特に、一体分身の如来といい、現在は大垣市重要文化財の指定を受けています
善光寺式阿弥陀三尊仏(大垣市指定文化財)
如来寺の本尊は長野県善光寺の三尊仏の尊影を模刻した仏像であることから、善光寺式阿弥陀三尊仏と呼ばれている。この仏像は鎌倉時代の作と伝えられ、法身は中央の阿弥陀如来が49.5cm、脇侍(わきじ)の観音菩薩像、勢至(せいし)菩薩像がともに33.5cmと三体の均等がとれた作風である。また、三尊が一つの光背(こうはい)に納まっている一光三尊仏であり、善光寺の分身仏にふさわしい浄土来迎を思わせる紋様も彫刻されている
大垣市教育委員会


by prayer_ryukon
| 2018-04-29 07:20
| 大垣市
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