2019年 07月 05日
仁和寺 |
仁和寺は世界文化遺産に登録されている寺院で
京都でもっとも遅咲きと言われている
「御室桜(おむろさくら)」で有名な桜の名所です
今回は6年に及んだ保存修理が終了した記念で
「観音堂修復落慶記念特別内拝」がおこなわれました
普段は入ることが出来ない観音堂の中が公されているので行ってきました
久しぶりの仁和堂なので 今回はゆっくりと見てきました
しかし、仁和寺は広いです
今回は この観音堂の特別公開が目的で仁和寺に来ました
山門は工事中、秋の特別公開にあわせて直しているのでしょうか?
仁和寺略記
仁和ニ年(886)第五十八代光孝天皇は、都の西北内山の麓に「西山御願寺」と
いう一寺の建立を発願された。
天皇は翌年崩御されたが、次の宇多天皇が先帝の意志をつがれ、仁和四年(888)
にこの寺が創建され、年号をとって「仁和寺」と命名された。宇多天皇は在位10年、寛平九年(897)醍醐天皇に讓位、ニ年後に出家得度され、わが国最初の「法皇」となられた。さらに延喜四年(901)には、仁和寺の中に法皇の所である「御室
〈おむろ〉」を定立され、承平元年(931)崩御されるまで、ニ十七年の間ここに
住まわれたのである。
仁和寺の住職は「門跡〈もんぜき〉」と呼ばれている。「門」とは天皇を指(、宇多
法皇から、慶応三年(1867)勅命によって退任された小松宮まで三十代、およそ
千年の間、和寺は皇室の寺院として知られるところとなった。
応仁ニ(1468)兵火によりすべてが焼失、その後、双が丘の西麓に仮物所を
設け法灯を護持していた。
仁和寺第ニ十一世覚深法親王(1588~一648)が、三代将軍川家光に
仁和寺再興の申し人れを行い、約180年後再建されることになった。
この時、御所から紫宸殿、清涼殿、常御殿、などが仁和寺へ移され、山門、中門、
五重塔、観音堂などは新築された。仁和寺再建は、正保三年(1646)に完了した
ところが、明治20年(1887)五月、火災により仁和寺御殿を構成する
大部分の建物を消失した。
明治23年(1890)に現在の白書院などが建てられ、明治42年(1909)から本格的な再定が開始され、京都府技師亀岡吉氏の全く新(い構想によって大正3年(1914)に完成をみた。
今日、全堂をはじめとする多くの定物は、国宝や重要文化財に指定されている
また、仁和寺の伽藍と御殿は、昭和十ニ年(1937)史蹟名勝記念物保存法
により、「史蹟仁和寺御所趾」に境内の桜は「名勝御室桜」にそれぞれ指定され
ている。さらに、平成六年に国速の「世界文化遺産」に録された。
なお、仁和寺は、真言御室派の総本山と(て、また、御室流華近家元として
も知られている。
寝殿も工事中でした
仁和ニ年(886)第五十八代光孝天皇は、都の西北内山の麓に「西山御願寺」と
いう一寺の建立を発願された。
天皇は翌年崩御されたが、次の宇多天皇が先帝の意志をつがれ、仁和四年(888)
にこの寺が創建され、年号をとって「仁和寺」と命名された。宇多天皇は在位10年、寛平九年(897)醍醐天皇に讓位、ニ年後に出家得度され、わが国最初の「法皇」となられた。さらに延喜四年(901)には、仁和寺の中に法皇の所である「御室
〈おむろ〉」を定立され、承平元年(931)崩御されるまで、ニ十七年の間ここに
住まわれたのである。
仁和寺の住職は「門跡〈もんぜき〉」と呼ばれている。「門」とは天皇を指(、宇多
法皇から、慶応三年(1867)勅命によって退任された小松宮まで三十代、およそ
千年の間、和寺は皇室の寺院として知られるところとなった。
応仁ニ(1468)兵火によりすべてが焼失、その後、双が丘の西麓に仮物所を
設け法灯を護持していた。
仁和寺第ニ十一世覚深法親王(1588~一648)が、三代将軍川家光に
仁和寺再興の申し人れを行い、約180年後再建されることになった。
この時、御所から紫宸殿、清涼殿、常御殿、などが仁和寺へ移され、山門、中門、
五重塔、観音堂などは新築された。仁和寺再建は、正保三年(1646)に完了した
ところが、明治20年(1887)五月、火災により仁和寺御殿を構成する
大部分の建物を消失した。
明治23年(1890)に現在の白書院などが建てられ、明治42年(1909)から本格的な再定が開始され、京都府技師亀岡吉氏の全く新(い構想によって大正3年(1914)に完成をみた。
今日、全堂をはじめとする多くの定物は、国宝や重要文化財に指定されている
また、仁和寺の伽藍と御殿は、昭和十ニ年(1937)史蹟名勝記念物保存法
により、「史蹟仁和寺御所趾」に境内の桜は「名勝御室桜」にそれぞれ指定され
ている。さらに、平成六年に国速の「世界文化遺産」に録された。
なお、仁和寺は、真言御室派の総本山と(て、また、御室流華近家元として
も知られている。
山門の中の仁王さん
建立/江戸初期寛永21年(1644)
本尊/大日如来
寛永21年(1644)の建立てあり、総高は36.18メートル。東寺の五重塔と同様に、
上層から下層にかけて、各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴的てある。
初重正面には、大日如来を意味する額が懸けられ、内部には大日如来、
その四方にも仏が安置される。また中央に心柱を、
その心柱を囲むように天柱が塔を支えている。さらに柱や壁面には、
仏や真言八祖などが描かれている。
※心柱=仏塔などの中心に立てる柱。
※天柱=天井が落ちないように支える柱。
国宝 金堂
建立/桃山時代慶長18年(16)
本尊/阿弥陀三尊
仁和寺の本堂。現在の金堂は慶長年(l3)造営の内裏紫
宸殿を、寛永年間(1624~44)に移築したもの。当時の宮殿建築
を伝える現存最古の紫宸殿として、国宝に指定されている。
堂内には、本尊てある阿弥陀三尊像や、四天王像などが安置されている。
※紫宸殿=御所の中心的建物。
※宮殿建築=天皇が使用する建物の総称。
建立/桃山時代慶長18年(16)
本尊/阿弥陀三尊
仁和寺の本堂。現在の金堂は慶長年(l3)造営の内裏紫
宸殿を、寛永年間(1624~44)に移築したもの。当時の宮殿建築
を伝える現存最古の紫宸殿として、国宝に指定されている。
堂内には、本尊てある阿弥陀三尊像や、四天王像などが安置されている。
※紫宸殿=御所の中心的建物。
※宮殿建築=天皇が使用する建物の総称。
重要文化財 経蔵(きょうぞう)
建立/江戸初期寛永(1644)~正保年間(1644~48)
寛永~正保年間の建立。建物は禅宗様て統一される。
建立/江戸初期寛永(1644)~正保年間(1644~48)
寛永~正保年間の建立。建物は禅宗様て統一される。
内部は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩などを安置し、
壁面には菩薩や羅漢などか描かれている。
内部中央には八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、
内部中央には八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、
各面に96箱、総計768箱の経箱を備える。
経箱には天台宗の学匠てあった天海による「一切経」が収められている。
重要文化財九所明神/本殿・左右殿
建立/江戸初期寛永年(164D~正保元年(1644)
九所明神(くしょみょうじん)は、仁和寺の中ても重要な伽藍を守る社てあり、現在
の建物は寛永年(1641)から正保元年Q644)にかけて建立
社殿は本殿・左殿・右殿の三棟にわかれ、八幡三神をはじめとし、
建立/江戸初期寛永年(164D~正保元年(1644)
九所明神(くしょみょうじん)は、仁和寺の中ても重要な伽藍を守る社てあり、現在
の建物は寛永年(1641)から正保元年Q644)にかけて建立
社殿は本殿・左殿・右殿の三棟にわかれ、八幡三神をはじめとし、
賀茂、日吉などあわせて九座の明神が祀られている。また各殿の正面には、
寛永幻年(1644)建立の織部形石灯籠が建てられている。
※伽藍=僧侶が仏道の修行をする、清浄閑静なところ。
※織部形石灯籠(織部灯籠)=安土桃山時代(1568~03)の茶人、
※織部形石灯籠(織部灯籠)=安土桃山時代(1568~03)の茶人、
古田織部が創案した灯籠。
頂いてきたパンフレットです
頂いてきたお守りです
京都府京都市右京区御室大内33
by prayer_ryukon
| 2019-07-05 07:29
| 京都府
|
Comments(7)
Commented
by
木蓮
at 2019-07-06 23:49
x
仁和寺 懐かしいわ
最近京都がご無沙汰なので ・・・・
仁和寺特別拝観 いいですねー
お初らしいですしね
最近京都がご無沙汰なので ・・・・
仁和寺特別拝観 いいですねー
お初らしいですしね
0
Commented
by
prayer_ryukon at 2019-07-07 06:58
Commented
by
prayer_ryukon at 2019-07-08 06:57
Commented
at 2022-04-10 15:09
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
檜川彰人
仁和寺